TALO都市企画
飯田代表インタビュー(1/2)
2012/11/6
高度経済成長と都市部への人口流入を受けて急増した都市型集合住宅としてのマンションは、ライフスタイルだけでなく街のしくみや都市の姿も変えてきました。しかし、2100年を迎えると日本の人口はピーク時の半分以下になると予想されているいま、マンションは新しいステージへの対応を迫られています。マンション問題を居住と地域の視点からとらえて解決することを提唱してきたTALO都市企画の代表でマンション管理士でもある飯田太郎氏に今後の課題などを伺いました。
マンションは住宅政策の“鬼っ子”だった
――マンションはわが国の高度経済成長とともに普及してきました。その後、1990年代初頭のバブル経済破綻や、2001年のマンション管理適正化法施行などを経て、マンションを取り巻く社会的環境には大きな変化がありましたね。
そもそもマンションは住宅政策のなかで“鬼っ子”とみられていました。行政が公営住宅と公団住宅の整備、それと公庫による民間住宅の支援を合わせた3点セットで住宅政策を進めていたところ、その隙間から行政の意思に反してマンションという居住形態が生まれてきた。しかも、政策的な支援もなく、公庫の適用もはじめは受けられなかったにもかかわらず、エンドユーザーはこの新しい都市型ライフスタイルを受け入れて、マーケットが急速に伸びていったのです。
当初、民間による分譲マンションは「業者が無計画に共同住宅をつくっている」という印象があったようで、行政的視点からは“迷惑施設”とみられがちでした。特に高層マンションは、日照権の問題で地域住民とぶつかることが多かった。
一方で、公団住宅の供給戸数の減少を民間分譲のマンションが補うようになったという変化もあり、1983年(昭和58年)には区分所有法が大幅に改正されました。前年の1982年には建設省(当時)が標準管理規約を作成しています。行政がはじめてマンションに関与するようになったということです。
マンションは新しいコミュニティの創造
私はこのころからマンションの仕事に関わりだして、早いものでもう30年以上が経ってしまったのですが、当時は民間のエネルギーといえるようなものを感じましたね。デベロッパーにも、必然的に生まれた管理会社にも、「新しい事業を広めていくんだ」という意識が強くあり、マンションライフの提案やコミュニティづくりが自然な形で、むしろあたりまえのこととして始まっていた。「コミュニティ」を社名に冠した管理会社が当時すでに誕生していることは、こうした時代感覚の反映だと思います。
新しい居住形態であるマンションには、それに合った生活やコミュニティが必要だという当時の感覚は、現在でもそのまま通用するものです。分譲マンションでは賃貸や戸建てと違い、計画修繕を自分たちの手で行わなければならないとか、漏水は隣接する住戸にも影響を及ぼすとか、結露やカビはどうしたら防げるのかとか、問題意識はいまとまったく同じです。というより、共同住宅におけるこうしたベーシックなことを住民に理解してもらわないと、トラブルが多く発生してたいへんだったということでしょうね。
――マンションの生活やコミュニティ全般への関心を高めようという取り組みは、地域コミュニティからマンションが孤立したり、そもそもマンション内部でコミュニティが成立していないという問題点が指摘されるようになって、社会的にも注目されるようになってきました。しかし、マンションの草創期には、すでにそうした取り組みが行われていたということですね。なぜ、現在まで続いてこなかったのでしょうか。
ひとつには、マンションが広く普及したことにより、新しい“商品”や“社会のしくみ”を創造するという意識が薄れていったこと。需要側も供給側も、みんながマンションに慣れてきたわけです。
もうひとつは、バブル経済の破綻で供給側に余裕がなくなってきた。供給戸数だけをみれば、バブル破綻で地下が下落したため大量供給が可能になり、東京の湾岸地域では年10万戸ペースが年20万戸ペースに増えたりしているのですが、やはり経済が低迷すると金銭的にも精神的にも余裕がなくなり、ムダと思われるものを削減するようになります。
また、そういう状況下で適正化法が施行されたため、デベロッパーも管理会社もコンプライアンスを重視するあまり萎縮してしまった。適正化法により管理会社の淘汰は進みましたが、新法の枠のなかで提出書類の数が増えただけ、細かい作業に追われるようになっただけという一面もあります。そのうえ管理コストの削減を迫られて、管理の質は問われないという風潮も生まれ、管理会社のサービスの平準化につながったといえるでしょう。
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